ケーキ屋さんの残ったケーキの行方
昔話シリーズ始めようと思います、パン・ケーキ屋業界に興味のある人は読んでみたら面白いかもしれません。
社会人1年目はケーキ屋さん
専門学校を卒業して地元のケーキ屋さんに就職しました。
子供の頃からの目標だったのです、就職が決まった時は泣いて喜びました。
緊張しすぎて面接終わった後、社長の目の前で泣いた(社長が強面だったのもあるが…)
1年間とにかく凄かった色々と、面接終わった後に社長が「丁稚奉公のつもりで来いよ!」って言ってたけど、まさか本当に言葉通りだとは思わなかったよ。
「手取り14万で賞与は無し」が少ないのだと、ケーキ屋さんを辞めて地元の友達と久々に近況報告するまで気付かなかった。
今思い出すとなぜか笑ってしまうのですが、失敗・口答え・遅刻には鉄拳制裁がデフォルト、社長の辞書のように厚い掌での往復ビンタが一番の思い出です。
アイアンクローって本当に痛いんですよ....
初めての1人暮らし
専門学校では寮みたいな所に住んでいたので、実質初めての1人暮らしでした。
しかし、今思えばこれが一番の間違いだった気がする
家に帰ってこれない!
朝5時から出勤して、帰ってくるのは早くても夜の10時ぐらい。
残業は別に構わなかった、好きで入ったし社長からも「修行中やからな!」と言われていたので。
とか本気で思ってたなーあの頃は(しみじみ)
問題なのは家事をする暇が無いという事で、洗濯は休みの日にまとめて済ませていた。
制服も自分で洗わなくてはならず、どうしようもない時は半乾きをドライヤーでなんとか乾かして誤魔化していた。
食事はというと、朝は残り物のお菓子食べて、昼はスーパーのお弁当。
夜はお惣菜か、それも買えない場合は再び残り物のお菓子。
さらに夜中にゴミ出してたら(帰った時夜の12時回ってたので)、「ゴミの日は明日だよー!」と近所のおばちゃんとバトルになった時もあった。
犬が吠えまくるのですぐ出てくる
そして、極めつけは大家さんとのすれ違い問題。
当時住んでいたのは、大家さん家の敷地内にある小さな平屋で、家賃を手渡しで納めていた。
しかし前述した通り、家を出るのが朝5時で帰ってくるのが夜の10時過ぎ、大家さん家は小さな門みたいな仕切りがしてあって鍵が開かないと玄関にすら辿り着けない。
そして、お年寄りの寝るのはべらぼうに早い....つまり。
会えないのである!!
ある月の事、遅刻だったか・何かの失敗の罰だったか覚えていないが、1ヵ月ほど休みがない時があった。
いつものように仕事をしていると大家さんから店に電話があった、本当に職場で働いているのか確認してきたのである、「あまりにも帰ってこないから」と…まぁ支払い期日を過ぎてたし心配になるよね。
大家さんごめんなさい…そしてそれからは「ポストに直接ぶち込んでOK!」ということになりました。
ケーキの行方は?
半年過ぎた頃ぐらいから、何故か食欲が収まらないようになっていた。
今考えると、ストレスとか疲労とか色々あって過食症ぎみだったのかもしれない。
少しハゲたしね
そしてココはケーキ屋さん、夜になり店を閉めると食べる物に困ることは無い。
そう、廃棄するケーキや焼き菓子が山のように毎日出るのである。
割れてしまって商品にならないクッキーや、まるまる余ったホールのケーキ。
そして、それらをまとめて捨てるのは当然一番下っ端の役目。
そう、食べ放題なのである。
当然仕事中にゆっくり食べたりする暇はないのだが、それでも「これを捨てるのか」というお決まりの葛藤も助けとなって、「捨てるのも口に入れるのも変わらんな」という事にして出来るだけ口に放り込んでいた。
持って帰るのとは別にね
そんなこんなで
社用車完全廃車事件なんかもあったりして、そんなこんなで心身共に限界を迎え、めでたく退職することとなり、短いケーキ屋さん人生に幕を閉じました。
完全に挫折しましたね、「これが挫折か~」とか呑気に思ってたのを覚えています。
それからパンと出会ってからは、割と調子よく成長してこれたと思っています。
最初にでっかく挫折しといたのが、後々良い風に影響していたのかもしれませんね。
最後に
再就職する際に行った健康診断で「中性脂肪がかなり高い数値ですね」と言われた、当時20歳メタボの春。
この時は、この先イカれたように走りまくる人生が待っていることを知る由もない。
それはまた、別の話。
正直恥ずかしい過去なのですが、「さすがにもう笑い話に出来るようになったよな」という確認の意味も込めて書いてみました。
本当はもっと闇の深い話なのですが、今回はこの辺でやめときたいと思います。
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